山房山 & サゲリ海岸道路

ハイアットホテルの玄関でタクシーをチャーターして
山房山とサゲリ海岸道路をドライブすることにした。
30分ほどで、お椀を伏せたようにそこだけポコッとまん丸い山房山に着いた。

山房山(サンバンサン)は標高395㍍。平地の中にポッコリと山が突き出ているので、
漢挐(ハルラ)山と絡めて色々な伝説があるようだ。
どの伝説も 漢挐(ハルラ)山のてっぺんがここへ落ちて三房山になったというものだが、
事実、 漢挐(ハルラ)山の頂上の窪みと山房山が一致するという調査結果もあるとか(?)、、、。
火山の噴火などで頂上が吹っ飛んだのだという人も(?)、、、。
いずれも真偽の程は知りません。。。

山房窟寺は高麗時代に建てられたもの。

すごい急坂を15分ほど上ると
山房山の中腹に洞窟がある。
窟の天井から滴り落ちる水が溜められていて
長寿の水だそうだ。
汗は噴き出るし、喉は渇いているし、
飲んでみたらとっても美味しい水だった。

山房窟寺の駐車場から海岸へ道を下りて行くと、龍頭(ヨンモリ)海岸。
遊歩道になっているらしいけれど、この日は波が高かったので下りることを制限されていた。

ハメル記念碑と帆船のモニュメント。
ハメルは17世紀に漂着したオランダ人とのこと。

ここは写真スポットみたいです(^-^)
サゲリ海岸へ出る前に運転手さんはわざわざここへ連れて行ってくれました。
山房山と茅葺の民家の構図がいいですね(^_-)-☆

ところで、チェジュドの「三多」
(石・風・女)のうちの石について:
チェジュドには至る所に石垣が
あるけれど、その積み方はとても
粗雑だ。この雑な石組みこそが
風の強いチェジュドにピッタリなのだ。
風は石と石の間の隙間を通り抜けて
いくから、石垣にまともに風の圧力が
かからず、倒壊を防げる。

石についてもう少し~~
チェジュドに暮らす人の一生は石に始まり石に終わると言われているそうだ。
石壁の家で、石のトルハルバンに護られて暮らす。
(家の壁は噴出岩を積み重ね、その隙間を土で埋めていく)
畑の境界には石垣、そしてお墓も放牧されている牛や馬の進入から
石垣で守られている。

沙渓里(サゲリ)海岸に沿って走る道路からの眺めは本当に美しい。
ロケ地にも使われるそうで、<オールイン>でもよく登場しているというのだけれど、
これからは海岸の景色にも心して(笑)見ることにしよう(^^)

兄弟島
見る方角が変わるにつれて、島の数と形が変わるそうだ。
船に乗って海上から見ると、2つ、3つ、4つ、、、、7つ、8つ、、、最大10にもなるという(@_@)
2つの無人島を中心に、その他は岩や、引き潮によって頭を現す岩など、
それらによって景観が変化するのだそうだ。

<オールイン>で、
酔って寝込んでしまったスヨンを
イナさんが背負って歩いた
波止場。

←慕瑟浦港(モスルポハン)

その慕瑟浦港からは
山房山がすぐ間近に見える。

タクシーの運転手さんは日本語がわかりません。何時何分ぐらいしかわかりません。
でも、しきりに「食べる」「食べる」と言うのです。
昼食時でもあるので、彼のいう所へ行きました。慕瑟浦港のすぐ近くです。
色々高いものばかり勧めますが、メニューを見て妥当なところを注文しました。
見ていると、おかみさんを手伝っています。きっと奥さんね(^_-)
アワビのお粥、太刀魚、甘鯛のひらき、そしてサザエはおまけしてくれました(^^)
このサゲリ海岸一帯は釣り人のメッカのようです。慕瑟浦港も漁港のようですね。
昼食のこの魚も慕瑟浦港で水揚げされたのかも~~美味しかったです!

   

こうして、瞬く間に私達の楽しい旅も終わりました。
ただ、漢挐(ハルラ)山をハッキリと目にすることが出来なかったことが残念です。
晴れていれば、島のどこからも漢挐(ハルラ)山を望めるというのに、
この3日間は天気もよく、陽射しも強く暑かったけれど、
何となく靄っている感じで漢挐(ハルラ)山は見えません。
済州国際空港へ向かう高速道路からも必死で眺めました。幽かにぼんやりと
高い山が望まれ、それが漢挐(ハルラ)山なのですが、写真に撮ることは出来ませんでした。
でも・・・
この旅の間中、漢挐(ハルラ)山の存在はいつも感じさせられていました。
チェジュドの暮らしのあらゆる所に漢挐(ハルラ)山が密接に関わっているのですね。

   

チェジュドの旅から10日経って、
今、このホームページの旅行記を作りながら、
買ってきたお土産を眺めながら、
「一衣帯水」という言葉をしきりに思っています。
大阪とチェジュドの間は飛行機で1時間半弱、韓国は本当に近い隣人です。
遠い遥かな歴史の過去からいつも深い関わりを持ち続けてきました。
その割りに私は韓国について知らないことが一杯です。特に近・現代史について
いかに知らないことか、、、。
「韓流」が韓国への関心と親しみを大きくしてくれました。
これを更に両国の良い関係に発展させていかねば!と切に思っています。

←可愛い土人形を、中文リゾートの海岸で
拾った貝殻と一緒に並べてみました。

柿渋染めのバッグ→

スヨンのオルゴール 

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