ヴェルサイユ宮殿

パリの西南約20q、イヴリーヌ県の県庁所在地・ヴェルサイユにある宮殿。
「朕は国家なり」と豪語した太陽王・ルイ14世の「有史以来、最も大きく最も豪華な宮殿を」
との命により1668年に着手。辺鄙な土地での大造営は難工事であり、
とりわけの難題は水問題で、はるばるセーヌ川から水をひいてきた。
1682年、まだ工事が続くなか宮廷がパリから移転してきて、
連日連夜の華やかな舞踏会や饗宴が繰りひろげられた。

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正面の門
パリ市内から私達はRER(高速郊外鉄道)に乗って30分足らずでヴェルサイユの駅に着いた。
そこから宮殿まではゆっくり徒歩で10分足らず。

門を入ってからの大広場
ルイ14世の騎馬像が正面に立つ。

宮殿内部

宮殿内部の壮麗さには圧倒される。
この宮殿に憧れて、これを模したものもある。
有名なところではウィーンのシェーンブルン宮殿。
日本では赤坂離宮?

鏡の間

ヴェルサイユ宮殿のなかでも最も華麗な部屋。
幅10m、奥行き75m、高さ12m。
中央庭園に面したほうには17の大窓、窓に
向かい合って反対側の壁面には17面の大鏡板。
この鏡板に使われている鏡の数は578枚。
大窓から差し込む太陽の光がこの大鏡面に反射して
光り輝き、夜ともなれば、黄金の燭台と
クリスタルのシャンデリアが煌めく。

ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と続いた華やかな宮廷生活もやがて終焉を迎える。
「パンが食べられないのなら、お菓子を食べればいいのに」と言ったと伝えられるマリー・アントワネット。
1789年、国家財政の破綻によって疲弊した民衆がヴェルサイユ宮殿になだれ込み、
やがてルイ16世と王妃マリー・アントワネットは捕らえられ処刑される。


時は移り、第1次世界大戦後の1919年、ヴェルサイユ宮殿・鏡の間で
「ヴェルサイユ条約」が締結される。
また近年では主要国首脳会議「ヴェルサイユ・サミット」がこの宮殿で開催された。

↑この部屋は「戴冠の間」と呼ばれる。
写真では分かりにくいのだけれど、後ろの絵はルーブル美術館にある
ダビッドの大作「ナポレオン1世の戴冠」の絵にそっくりなのだ。。。
ナポレオンはヴェルサイユ宮殿には住まなかった筈だし、勿論ここで戴冠式を挙げた訳でもない。
??よく分からない、、、。
だけど、この絵の前の柱は、ナポレオンが「アウステルリッツの戦い」に勝利したことを記念して
発注したものだというから、この部屋はやはりナポレオンに何らかの関係があるのだろう。

宮殿から見た庭園
左右対称のフランス式庭園

当初の宮殿はバロック式。
時代と共に加えられた増改築や室内装飾は
ロココの様式も加わる。
ルイ15世の愛妾・ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネット
に代表されるロココ様式は軽快優美で華麗。

絵葉書から

ヴェルサイユ宮殿の当初の総面積は2473ヘクタール、東京ドームが2000個近く入る広さだったそうだ。
今でも800ヘクタールあるという。道の全長は20km、樹木20万本、屋根の総面積11ヘクタール、
部屋数700だそうだ。
庭園を歩くのは大変そうなので、プチ・トラン(小型バス)に乗って出掛けた。
途中で降りてしまったもので、宮殿まで歩いて戻るのが大変だった。
この写真の所から、宮殿と反対方向に1650mのグラン・キャナル(大運河)がある。
私達はこの大運河のちょうど半分くらいの所から宮殿めざして歩いたのだが、
お天気が悪かったせいもあるだろうけれど宮殿がかすんで見えた。
宮殿の中から庭園を眺めたときも、庭園の端は森の彼方にもっとかすんで、果ては分からなかった。
因みに、ここでもストに遭った。
宮殿それ自体は私達が行った日は運よく開いていたのだが、
マリー・アントワネットがこよなく愛したという離宮プチ・トリアノンはスト中だった。
ピンク色の大理石で出来た可愛い館に入りたかったのに(-_-);;

アポロンの泉から
宮殿を望む

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