運河に沿って

(2)

「北のヴェネチア」と言われるほど、ブルージュは運河の町。
(もっとも、ヴェネチアとは規模も雰囲気も異なるけれど)
先ずは船に乗って、水上からのブルージュ巡り。

「ブルージュ」とは「橋」の意味。
運河には50以上の橋が架けられている。

〜〜市街の中心部を流れる運河沿いには数々の歴史的建物が並んでいる。
下船後は徒歩でそれらを廻った〜〜

←私達はここローゼンフード船着き場から船に
乗り込んだ。鐘楼が見えている。


運河巡りをするための船着き場が
何ヶ所かあり、約30分かけて巡る。
船からの眺めも風情があった。

  聖母教会  

それはシャルル勇胆公とその娘のマリ・ド・ブルゴーニュの名高い墓で、脇聖堂の奥にあった。
なんとその墓は人の心を動かすことか!とくにあのやさしい王女は
彼女は掌をあわせ、クッションを枕にし、銅の服をまとい、忠節を象徴している犬に足を寄せ、
石棺の長押に厳粛そのものの姿を見せている。

〜〜ローデンバック『死都ブリュージュ』より(窪田般彌・訳  岩波文庫)〜〜
Ж(注)柩の上には生前の姿を模った像がある。ローデンバックの文章はその像のことを描写している。
また、柩は脇聖堂にあると書かれているが、現在は内陣に安置されている。

町なかを、百年をへたいくつもの橋を、
水が溜息をついている死んだような河岸を渡った。

〜〜『死都ブリュージュ』より(窪田般彌・訳  岩波文庫)〜〜

しかし、この町の霊地めぐりするユーグが、
とくに愛したのはサン・ジャン病院だった。

〜〜『死都ブリュージュ』より(窪田般彌・訳  岩波文庫)〜〜

黄金の小さなゴシック礼拝堂さながらの
聖女ウルスラの有名な聖遺物箱がかがやき、
両側面の鏡板にはどれも、一万一千の童貞女の
物語が繰りひろげられている。一方、細密画のような
細かい円柱浮彫りに飾られた姉の琺瑯をひいた
金属板には、髪の毛と同じ色のヴァイオリンと、
翼の形をした竪琴を持っている楽天使たちがいる。

〜〜『死都ブリュージュ』より(窪田般彌・訳  岩波文庫)〜〜

そしてこの水自体が、青空の切れはしや
屋根の瓦や、泳ぐ白鳥の白さや
岸辺のポプラの青葉など、いくたのものを
反映するとはいうものの、けっきょくは色のない
沈黙の道に統合されるのである。
〜〜『死都ブリュージュ』より(窪田般彌・訳  岩波文庫)〜〜

13世紀から16世紀にかけて造られた。
何度も改修されたので、様々の建築様式があるという。
1440年に完成したレンガの塔は122m、
レンガ造りの塔としては世界でも有数の高さを誇る。
(修復中だったのが残念)

婚姻によって結びついたブルゴーニュとフランドル。
「中世の華」と呼ばれたブルゴーニュ公国の栄華は
四代100年にわたって続く。
4代目のシャルル(勇胆王)には娘が一人いるだけだった。
それが「美女の中の美女」と称えられ、フランドルの人々
から敬愛された「ブルゴーニュのマリー」である。
マリーは20歳の時、オーストリア・ハプスブルク家の
マクシミリアン(後の神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世)
と結婚、幸福な結婚生活を送っていた。
ところが、25歳の時に落馬して亡くなってしまう。
ブルゴーニュ公家の相続人であった
マリー・ド・ブルゴーニュの死により、
ブルゴーニュ公国領はマクシミリアンに継承され、
ブルゴーニュ公国は終焉を迎えるのである。

↑聖母教会内・内陣に安置された
シャルル勇胆王と
マリー・ド・ブルゴーニュの柩

←ミケランジェロ作「聖母子像」

白大理石の聖母子像は
ブルージュの豪商が金貨100枚で
買い入れて教会に寄進した。
イタリア以外でミケランジェロの作品を
見ることは非常に珍しいそうだ。

  グレートフーズ博物館 

グルートフーズ家はブルゴーニュ公国の貴族の
家柄だが、ビール酵母「グルーツ」を専売する
権利を持ち莫大な富を手に入れた。
(そう言えば、ベルギーはビールが有名ですね)
特に、ルイ・グルートフーズは芸術の保護者、
古文書の収集家であった。
金羊毛騎士団の一員でもあった彼のモットーは
「人間のなかには、外見だけでは想像もできない
多くのものが秘められている」というものであり、
邸内の至る所にこの言葉が記されているとのこと。

邸は聖母教会と隣り合って建っており、
邸内には聖母教会の祭壇を見下ろすことが出来る
出っ張った出窓のある小部屋があった。
グルートフーズ家の人達は
他人に見られることなく礼拝に参加したのである。

現在は博物館となっていて、中世の生活を
しのばせる様々な展示品があった。

 メムリンク美術館

12世紀に建てられた施療院では、附属の修道院の
修道士や修道女によって貧しい病人や旅人の世話が
なされた。ヨーロッパで最も古い病院の一つである。
この聖ヨハネ
(フランス語読みではサン・ジャン)病院の
一部を利用して作られたのがメムリンク美術館。
メムリンクは、15世紀に活躍した画家。ドイツ人であり
ながらブルージュを愛しブルージュに住みついた。
施療院に収容されている人々の為に
彼の祭壇画が修道院に置かれ、これをきっかけに
メムリンクの作品が収集され、1839年に一般に
公開されて「メムリンク美術館」と呼ばれるようになる。

←メムリンク美術館(聖ヨハネ病院)入り口

***私達が訪れたときは修理中で、メムリンクの作品は
近くのグルーニング美術館に移されていた。***

メムリンクの代表作<聖女ウルスラ聖遺物箱>→
(絵葉書より)    

聖女ウルスラは、中世以来キリスト教徒に敬愛された殉教者。
多くの芸術作品に登場するが、今回は割愛。

メムリンクの作品も展示されているグルーニング美術館にも行った。
15世紀から現代までの豊富なコレクション。
とりわけ、フランドル派のヤン・ファン・エイクやボッシュなどの有名作品、
また近現代のクノップフらの作品もある。
この美術館も佇まいがいい。切符売場のある門から邸宅までの庭の風情もいい。

  救世主大聖堂

9世紀に最初の形が作られたベルギー最古の
レンガ造りの教会。
1200年頃の基礎部分はロマネスク様式、
その後少しずつ改修を加え、
19世紀に今の姿になった。

内部のステンドグラスが実に素晴らしい

各ギルドの礼拝堂もあり、1478年にはここで金羊毛騎士団の集会が開かれた。
これを記念した騎士の紋章が付いた聖歌隊の席もあり、
肘掛け部分には素晴らしい彫刻が施されている。

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