ベルリン  その2


ベルリンと呼ばれるようになった由来は諸説あるそうですが、
スラブ語で池や湿地を意味する「Berljina」(ベルジーナ)からきているとも言われます。
もともと沼地の多い土地だったようですが、
比較的水の少ないシュプレー川沿いの浅瀬を中心に町が形成されていったようです。
紀元前から、ゲルマン人やスラブ人がこの地を取りあいました。
12世紀にブランデンブルク辺境伯がこの地に封じられて以来、
ゲルマン人の地となりました。

シュプレー川は市の郊外や市内中心部を巡って流れています。


これは市内の周辺を流れているシュプレー川です。



赤の市庁舎ベルリンテレビ塔
共に市内中心部、ミッテ区のアレクサンダー広場にあります。
市庁舎は1869年完成、赤い煉瓦を使った外観から
「赤の市庁舎」と呼ばれてきましたが、第2次世界大戦で大きく破壊され
戦後元通りに再建されました。
ベルリンテレビ塔は、旧・東ドイツ時代に建てられたものですが、
高さ368b、ベルリン中心部のどこからでも見ることができ、
ベルリンのランドマークになっています。




↑ ドイツ連邦議会の置かれた国会議事堂
(ブランデンブルク門のところから撮ったので、正面ではなくて建物の斜め横しか写りませんでした)




↑ フンボルト大学
ウンター・デン・リンデンに面しています。
1810年に、言語学者、政治家、貴族であるヴィルヘルム・フォン・フンボルトによって
設立されたベルリンで最も古い大学。
博物学者兼探検家、地理学者として有名なアレクサンダー・フォン・フンボルトは彼の弟。



↑ ベルリン大聖堂
プロイセン王国(ドイツ帝国)、ホーレンツォレルン王家の記念教会。ドームが目を引きます。
シュプレー川の中洲に建っています。




↑同じくシュプレー川の中州に建っている旧博物館です。
この中州の一部は【ベルリン博物館島】と呼ばれ、
5つのミュージアムが集まっていて、世界遺産になっています。
1830年に「旧博物館」が先ず誕生し、「新博物館」、「旧国立美術館」、「ボーデ博物館」と続き、
1930年には「ペルガモン博物館」が開館しました。
プロイセン王国と後のドイツ帝国が英仏などに対抗して
威信をかけた大事業を100年の歳月をかけて完成させたのでした。
最初に建設された「旧博物館」では、プロイセン王室の美術コレクションを
初めて一般に公開したということです。

私達は、この5つのミュージアムのうちの一つ、「ペルガモン博物館」を見学しました。


ペルガモン博物館



ペルガモン博物館は、館名の由来にもなっているヘレニズム期の
トルコ・ペルガモンの「ゼウスの大祭壇」をはじめとする
<ギリシャ・ローマ> <中近東の美術> <イスラム美術>を収蔵する
考古学博物館で、世界屈指の西アジア美術のコレクションを誇るといいます。





入ってすぐのところにある巨大な展示室には、紀元前2世紀頃に小アジアで栄えた
ギリシャの植民地国家であったベルガモン(現在のトルコ)で18世紀に発掘された
ヘレニズム期の傑作「ゼウスの大祭壇」があります。
この博物館は、そもそもこのゼウスの大祭壇を
実物のままに収納展示するために建てられたのです。




↑この展示室の壁面には 113メートルにわたって浮き彫り彫刻の展示が続きます。↓



ゼウス、ヘラクレス、戦う女神アテナなどをモチーフにしたレリーフは
躍動感にあふれ、実に見事なものでした。




↑ 古都ミレトスの市場門(組写真の左上)やアテネ神殿の門館、床のモザイクなど。



古都バビロンのイシュタル門
紀元前7世紀ころにバビロニアを囲む壁に築かれた門は、
天空の女帝イシュタールに捧げられたことから
この名で呼ばれるようになったといいます。
表面は色鮮やかな青い色の彩釉煉瓦で飾られています。(紀元前560年頃)






↑ ヘレニズム美術や中近東の文物のオンパレードでした。
写真撮影は、フラッシュを使用しないという条件で許されていました。

この博物館の南翼にあるイスラム美術館では
8世紀から19世紀のイスラム美術の変遷を辿れるということですが、
時間的にとてもそこまでは回ることが出来ませんでした。

 ペルガモン博物館の左右には、
左手にボーデ博物館(組写真の上)、右側に新博物館(写真の下)があります。



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バスの車窓から一瞬のうちに撮った写真は、とてもマズイものが多いのですが、
拙いけれど残しておきたいものがあります。


    

左の写真はカイザーヴィルヘルム記念教会         右の写真はCDU(ドイツ・キリスト教民主同盟)の党本部

カイザーヴィルヘルム記念教会
この教会は第2次大戦の時に破壊されたままの状態で残されています。
とても無惨な感じですけれど、戦争の愚かさを忘れないように
そのままの姿を残しているのだそうです。
とても繁華な街中にあって、周囲には近代的なビルが立ち並んでいました。
それでも取り壊さないという意思を感じます。

旅行中はちょうどドイツの総選挙を控えている時期でした。
あちこちに選挙ポスターが貼られ、CDU党首のメルケルさんの顔写真も
至る所で見掛けました。
ドイツの「今」を見ているようで面白かったです。
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