※ ポツダム ※
凱旋門(ブランデンブルク門)
ベルリンのブランデンブルク門と同じ名前だけれど、規模はずっと小さい。
規模は小さいけれど、美しくて堂々とした門です。
プロイセン王フリードリヒ大王がオーストリアとの戦いに勝った記念として
1770年に建てられました。
ポツダムは7世紀ごろから存在していたらしいのですが、ずっと小さな町でした。
それが17世紀に、交通の要衝としての重要性に着目した
プロイセン公国ホーエンツォレルン家のフリードリッヒ・ヴィルヘルム大選定侯が
ポツダムを王家の拠点の一つとしたことにより発展を遂げます。
今、ポツダムは【ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群】として
世界遺産に指定されています。
ツェツィーリエンホーフ宮殿
プロイセン王国(ドイツ帝国)の皇太子夫妻のために、第1次世界大戦中の1917年に
建てられた城。城とは言っても、英国チューダー朝様式の木組みの建物で
蔦が絡まり、カントリーハウスの趣きです。
この館は、ポツダム会談が行われた場所として有名です。
第2次世界大戦末期の1945年7月17日〜8月2日にわたって、
米トルーマン、英チャーチル、ソ連スターリンによる首脳会議が開かれました。
ドイツの敗戦処理と日本への対処が協議されたのです。
もっとも、会談の期間中にイギリスの総選挙があり、政権が交代してしまった為に
チャーチルは退き、新首相アトリーに交代することになりました。
上の写真は当時の様子を伝えるものですが、今も、この円卓は残されており、
米・英・ソの代表者の席には国旗が置かれていました。
また、3カ国首脳の控え室への入り口は別々で、
お互い顔を合わさないようになっていました。
(建物内部の写真撮影は禁止されています)
なぜ戦後処理を話し合う会談場所にポツダムが選ばれたのかというと、
ドイツのほとんどの都市が爆撃を受けて破壊されていたからです。
ポツダムだけが奇跡的にほとんど無傷で、会談に使用する建物や
会談に携わる多くの人々を収容できる建物があったからだということです。
建物の一部はホテルとして使用されているということです。
鷲と牛を象った皇帝の紋章
サンスーシー庭園と宮殿
サンスーシー庭園は300ヘクタールもの広大な面積で、その中に
<サンスーシー宮殿> <新宮殿> <中国茶館> <オランジェリー(温室)>などが
点在しますが、今回は<サンスーシー宮殿>の外観と主要な庭園を眺めただけでした。
サンスーシー宮殿
フリードリヒ2世(大王)によって、夏の離宮として18世紀半ばに建てられました。
多才で万能の人であったフリードリヒ2世は、自ら設計の一部を行ない、
宮殿の基本デザインは王がそのイメージをスケッチで描いたそうです。
王の趣味を反映して、規模的には小さい宮殿だけれど、
内装はロココ調、こじんまりとした瀟洒な建物ができました。
サンスーシー宮殿(Schloss Sans souci)の‘Sans souci’はフランス語で「憂いなし」という意味です。
しかし、フリードリヒ2世(大王)自身の生涯は、偉大でもあったけれど、波乱に満ちたものでもありました。
フリードリヒ2世(1712−1786)は第3代プロイセン王です。
優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、
国家としてのプロイセンを不動のものとし、大王と称されました。
「王は国家第一の下僕」との考えを持ち、信仰の自由、新聞の発行、拷問の廃止
などの改革を進め、啓蒙専制君主の典型とされています。
そのかたわら、哲学・文学・音楽を愛し、フルート演奏など芸術的才能も持ち合わせていました。
ただ、家庭的にも、対人関係でも、孤独であったようです。
父の命令で意にそわぬ結婚をしたフリードリヒは、王妃と別居するために
ポツダムの地に夏の離宮を建設することを決意しました。
結果的にはここが居城となり、祖国のために超人的に働き続け、
35歳から74歳で没するまでの生涯のほとんどをこの宮殿で過ごしたのでした。
← ガーデン・パビリオン
宮殿の両脇に設けられた緑色の鉄柵状の建物。
何に使われたのかしら? 四阿(あずまや)かしら?
プロセインの紋章と同じ太陽のモチーフの装飾が
黄金色に輝いて四面に施されています。
フリードリヒ大王は大変な人嫌いで、
犬をこよなく愛し、終生愛犬しか信じなかったともいいます。
「自分の死後は飼っていた11匹の犬と一緒に埋葬してほしい」
という遺言まで書いていたそうです。
実際には、彼の埋葬場所は転々とし、東西ドイツ統一を経た後、
1991年8月、死後46年を経てようやく
彼の願いは叶えられることになり、
今、犬たちと共に、サンスーシー宮殿のすぐ傍らに眠っています。
大王の墓にしては何の飾り付けもない
本当に質素なものでした。
墓には、誰が供えたのかジャガイモが数個置かれていました。
ジャガイモの供物も、質素さも、なにかとても共感を覚えました。
サンスーシーのユニークな階段状庭園です。
丘陵の斜面を利用したテラス式庭園とでも言うのでしょうか…
6層からなるテラスが階段状に続き、とても伸びやかで
上から見下ろしても、下から見上げても、それは美しく気持ちのいい庭園でした。
この階段状テラス庭園のユニークさは、
6層のテラスそれぞれに、階段の段差の壁を利用して
そこに食べられる木を植えてあることです。即ち、ブドウとイチジクが植えられているのです。
下から見れば、ブドウとイチジクの丘の頂上に宮殿が建っているという感じです。
ブドウもイチジクもキリスト教世界においては豊穣を意味する植物であり、
フリードリヒ大王は、北ドイツでは無理と言われたブドウを栽培することにに大変な憧れを抱き、
そして、ついに自分の庭園でブドウ畑を持つことを実現させたのでした。
ガラスで囲われた部分は温室になっていて、ここにはイチジクが植えられています。
因みに、サンスーシー宮殿の建物の柱の彫刻は、葡萄酒の壺をかついだ
バッカスの像だそうです。
第2次世界大戦の爆撃を奇跡的に免れたポツダムでは、
バスの車窓からも多くの古い建物を目にすることが出来ました。
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