――瓦礫の中からの復興――

ドレスデン



ドレスデンは、12世紀以来ザクセン選帝侯の宮廷都市として栄えたエルベ川沿いの町で、
豊かな歴史的遺産と美しい景観の町です。
「エルベの真珠」と讃えられています。



↑ツヴィンガー宮殿の前にある劇場広場から見た景色
左手に見えるのが【三位一体大聖堂(カトリック旧宮廷教会)】
右手に、レジデンツ王宮(ドレスデン城)の一部
代々のザクセン選帝侯は、12世紀末からドレスデン城に居住していました。



↑同じく劇場広場から見た景観です。
騎馬のヨハン王像と、 ドレスデン国立歌劇場(ゼンパーオーパー )です。
1841年、宮廷歌劇場として建築家・ゼンパーの設計により建設、
ワーグナーが指揮者を務めたこともあります。

歌劇場の入り口には、向かって左にゲーテの像、右手にシラーの像があります。

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宮廷文化に彩られ、800年の歴史を持つドレスデンですが、
第2次世界大戦末期には、ドレスデン大爆撃に遭いました。
1945年2月13日から14日にかけてアメリカ軍とイギリス軍が行ったこの無差別爆撃は
第2次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものの一つであり、
これによりドレスデンの街の85%を破壊し、市内中心部はほぼ灰燼に帰し、
3万人とも15万人とも言われる一般市民が死亡したといいます。
第2次大戦後、東ドイツに組み入れられたドレスデンでは
復興が進められたものの、瓦礫のままのものもありましたが、
1990年の東西ドイツ統合後は歴史的建築物の再建計画が一層進められました。
現在は人口50万人以上という大都会です。
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ですから、歌劇場も 教会も 宮殿も、今 目にする多くのものが
実は再建されたものなのですが、
その再建に際して、多くのドレスデン市民が進んで金銭と労力を提供したのでした。
以前、NHKテレビでその様子を伝えるドキュメンタリー番組を見て
感動したことがあります。


















 カトリック旧宮廷教会の聖人たち。
屋根の上には78体の聖人石像が
立っているとのことです。
 



















現在の正式名称は三位一体大聖堂
ドレスデン・マイセン司教区の大聖堂で、
ザクセン州最大の教会建築とのこと。












フラウエン聖母教会
この美しい教会も復元されたものです。
瓦礫の山のままになっていた聖母教会の再建には、
世界中から182億円もの寄付が集まったそうです。
復元作業は、瓦礫から掘り出した30万個の破片を、出来るだけオリジナルのまま使うことにし、
コンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込みましたが、
この気の遠くなるような作業を評して「ヨーロッパ最大のパズル」と言われたそうです。
それでも足りない部分は新しい部材を用いましたが、新旧の部材からなる
モザイク模様がユニークです。


教会の前に建つのはマルティン・ルターの銅像。
宗教改革の中心人物でプロテスタント教会の源流をつくった人です。






★この組写真の左側の上2枚の写真に写っている
右側が【三位一体大聖堂(カトリック旧宮廷教会)】、左側がレジデンツ王宮(ドレスデン城)
★一番下の写真はブリュールのテラスから眺めるエルベ川
ここはプロムナードになっていて、気持ちのよい眺望が開けています。
ドレスデンはドイツの東の端に位置し、チェコ国境まではわずか30㎞。
水源をボヘミアの森に発し、チェコを流れる有名なモルダウ川は、
ドイツ領に入るとエルベ川と名を変えるのです。

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2004年、歴史的建造物の残る文化的景観が評価され、ドレスデンを中心にしたエルベ川流域18kmの
【ドレスデン・エルベ渓谷】が世界遺産に登録されました。
しかし、交通量の増加に対応するためにエルベ川に車両用の橋を建設する案が浮上しました。
ユネスコの世界遺産委員会は、橋を建設すれば世界遺産登録を抹消すると警告したけれど、
ドレスデン市民は住民投票の結果、世界遺産よりも生活の便利さのほうを選択しました。
これにより、2009年に【ドレスデン・エルベ渓谷】は世界遺産の登録から抹消されました。
瓦礫の中から町を再建したドレスデン市民は、一方では世界遺産という名よりも
生活を優先させる実のほうを選びもしたのですね。







君主たちの行列



ドレスデン城のアウグスト通り沿いの外壁には
ザクセンの歴代君主たちを描いた壁画が描かれています。











その長さ、およそ100㍍、
25000枚のマイセン焼きの陶器タイルが
使われています。
1123年から1904年までのザクセン君主の
騎馬像や、各時代の芸術家たち
総勢93名が描かれていますが、
ここだけは奇跡的に戦災を免れ、
ほぼオリジナルの状態で現存しているのです。























壁画の前に立つ観光客と比べると、
その大きさが分かることでしょう。





↑豹のマントを着けているのはザクセン王国の最盛期を築いた
ザクセン王のフリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)
その後の騎馬の人物は強王の息子のアウグスト3世







ザクセン王国の栄華を伝えるツヴィンガー宮殿と
名作の宝庫であるアルテ・マイスター絵画館については
長くなるのでページを改めて書きます。

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