魔女伝説のハルツ山地 山麓の町
ゴスラー


 


ゴスラーは、銀山と 
神聖ローマ帝国皇帝の 
居留地として 
中世に繁栄した町です。








 



        ↓ 皇帝居城 →
現在の建物は19世紀に 
再建されたものとのことです。 

















  ゴスラーは、10世紀後半、銀鉱山が
  発見されたことで町の礎ができ、
  1050年に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ3世が
  皇帝居城を建てたことから、
  大きな発展を遂げました。







ハルツ山地の小さな町であったゴスラーですが、
皇帝居城が築かれたことにより、11世紀から13世紀にかけては
大帝国・神聖ローマ帝国の帝国会議も何度か開かれました。
13世紀にはハンザ同盟に加入し、1500年頃にはランメルスベルク鉱山の採掘が
最盛期を迎えたこととも相まって、
この時期、ゴスラーはヨーロッパの政治、経済の中心地の一つになったそうです。
また、経済力を背景に木組みの豪華な建造物も数多く建てられました。
これら中世からの家屋が連なる旧市街地の街並みは
ランメルスベルク鉱山跡と共に1992年に世界文化遺産に登録されました。
かつての鉱山の町は、今では観光産業の町になっているのです。




↑ 旧市街の中心部にある マルクト広場
中央の噴水(1230年に作られた金の鷲の噴水)を中心に
色違いの敷石が放射状に敷かれています。
この広場の正面には、仕掛け時計のあるカイザーリングハウスがあります。

↓これが、カイザーリングハウスです。


仕掛け時計は9時、12時、15時、18時の1日4回、
グロッケンシュピール(組み鐘、カリヨン)の美しい鐘の音色と共に、
仕掛け時計の人形によって、騎士ランメルによる伝説的な鉱脈の発見から始まり

近代まで各時代の採掘の様子を再現しています

伝説によると昔ランメルという騎士が狩りの途中、
ランメルスベルクに馬を残し森の中へ入って行きました。 
馬はご主人の帰りを待ちながら蹄で地面をひっかき、
蹄の間に銀の破片がはさまりました。
これがきっかけで鉱脈が発見されたそうです。

(写真に写っているのは、その場面です) 
ゴスラーの繁栄がランメルスベルク鉱山と深く関連していることが分かります。
私達は15時の仕掛け時計を見物しました。
動画を撮ったつもりだったのですが、失敗していました (;´○`;)





マルクト広場の右手には「カイザー・ヴォルト」と呼ばれる旧ギルド会館があります。
1494年に建てられた盛期ゴシック様式の建物で、生地仕立て業者のギルドハウスでした。
灰色のスレート瓦と美しい木組みという、ゴスラーの典型的な建築群のなかでも
この建物は際立った美しさと豪華さで目を引きます。
生地仕立て業者のギルドはゴスラーで最も栄えた豪商達からなり、
斜め向かいにある市庁舎を凌ぐ建物を建てたのでした。
約200年前からはホテルとして利用されるようになり、現在も営業中です。



カイザー・ヴォルトという名前は、
外壁の狭い壁龕に配されたバロック様式の諸皇帝(カイザー)の木像(合計8体)に由来します。
せり出した小塔や、屋根に設えられた小窓などがひときわ豪奢です。




↑ マルクト広場を囲む左側の建物です。

↓ マルクト広場の入り口にあり、カイザー・ヴォルトの斜め向かいにある市庁舎です。
(市庁舎の外観を撮るのを忘れていました (-_-;;)



ゴスラー市庁舎は15世紀中頃に建てられたゴシック様式の建物です。
左下の写真は外壁に施されていた鷲をかたどった市の紋章です。
あとの3枚は、市庁舎2階の「栄光の間」です。
天井には金色の星が散りばめられています。
その天井からは、鹿の枝角で作られた皇帝の燭台が吊るされています。




↑ 12世紀に建てられたマルクト教会




教会の近くには、また別の広場があって、大きさはマルクト広場より小さいけれど、
やはり色違いの敷石が放射状に敷かれていました。
ここでも広場を囲んで、鱗状の灰色のスレート瓦に木組みの建物、
そして木彫りの美しい彫刻が施された外壁という
中世の街並が残されています。




↑旧大聖十字救貧院
 1254年に町の貧民救済施設として建てられ、貧困者や病人、孤児、
巡礼者や行き倒れの人達にベッドと食事が提供されました。
かつて困窮者を収容した小部屋は、現在、美術工芸作家達の
アトリエ兼販売所になっていました。
 




  ドームホール(大聖堂入り口の間)
皇帝居城の敷地の前に建っていて、こぢんまりとした教会堂のように見えますが、
もともとは1050年にハインリヒ3世の命によって建てられた
大聖堂(聖シモン&ユダ教会)だったとのことです。
しかし老朽化が進んだために、1820年に取り壊され、
入り口の間である玄関ホールの部分だけが残されました。
扉の上の壁面には漆喰でレリーフが彫られていて、
上段にはマリア像、下段には聖人像が見られます。

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ゴスラーの町の様子をもう少し書きたいのですが、
長くなるので、続きはページを改めます。
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