千年の薔薇
 ヒルデスハイム




ハルツ山地の北にあるヒルデスハイムには、
ドイツ初期ロマネスク建築を代表する二つの聖堂

ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂≫があり、
世界遺産に登録されています。
このうち聖マリア大聖堂には「千年の薔薇」の伝説があり、
聖堂へと至る道筋には、道標として敷石にバラの絵が描かれています。



聖マリア大聖堂



ヒルデスハイムは第二次大戦で市街のほとんどが破壊されてしまいました。
聖マリア大聖堂も、聖ミカエル教会も、第ニ次大戦末期、1945年3月22日の爆撃で
灰燼に帰してしまいましたが、戦後復興されました。




右側の写真は、司教ベルンヴァルトの像

聖マリア大聖堂は、872年に建てられ、聖母マリアに捧げられました。
その後、10世紀にオットー3世によって、貴族のベルンヴァルト(960頃-1022)が
司教に命じられ、聖マリア大聖堂の改築を行いました。
ベルンヴァルトはさまざまな分野に造詣が深く、多方面で活躍したということです。
聖職者であるばかりでなく、政治家、軍人、技術者、芸術家、文学者としても優れ、
斬新な発想をもった人物で、レオナルド・ダヴィンチに匹敵する万能の天才であったと
いうことですが、なぜかレオナルド・ダヴィンチほどには知られていません。
私も、今回ヒルデスハイムを訪れ、ベルンヴァルトのことを調べるまで、
彼のことは全く知りませんでした。
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会が世界遺産に登録されたのは、
ひとえにベルンヴァルトの功績によるし、更に言えば、ヒルデスハイムの繁栄も
千年前のベルンヴァルトの功績によるところが大きいと言われます。





ベルンヴァルトの扉
(組写真の右側の写真は全体、左側の写真はその一部分)
ベルンヴァルトは多方面で活躍した人ですが、金属工芸にも大きな情熱を注いだそうです。
聖マリア大聖堂の建物は戦後再建されたものですが、
大聖堂内では戦火を逃れた手工芸品を見ることができます。

 特にベルンヴァルトの手になる二つの作品が圧巻です。
 その一つが、1015年に作られた高さ5mの「ベルンヴァルトの扉」と呼ばれる
ブロンズ製の正面扉です。
旧約聖書と新約聖書をモチーフにした青銅製の彫刻が彫られていて、
向かって左側の扉には、人類(アダムとイヴ)の創造、堕罪、楽園追放などを描く8場面、
右側にはキリストの生涯の8場面(マリアへの受胎告知や、キリストの誕生、
東方三博士の礼拝など)が描かれています。
 ※
因みに、この青銅扉はオットー朝時代の金属工芸の最高傑作に数えられるそうですが、
それ以上に、レオナルド・ダヴィンチの技術をさえも凌駕しているようなのです。
というのは、この扉は一体で鋳造されていて、これだけの大きさをもつ規模のものとしては、
その後数百年間ヨーロッパでは作ることが出来なかったのだそうです。
(以後のヨーロッパでは大きなブロンズ作品は分割して鋳造するしかなく、
レオナルド・ダヴィンチが試みた大きなブロンズ像も、一体として鋳造するには
強度上無理があって完成しなかったのだそうです)




キリストの円柱
ベルンヴァルトの手になるもう一つのブロンズ作品は、祭壇の横に立つ「キリストの円柱」です。 
 螺旋状のレリーフには下から上へキリストの生涯の24場面が描かれています。










 



千年の薔薇

大聖堂には回廊に囲まれた中庭があり、ここに樹齢1100年以上と言われる
バラの木があります。
815年、カール大帝の子ルートヴィヒ敬虔王が狩りをした折、
礼拝のため聖遺物容器を持って行きましたが、それを森に忘れてきてしまいました。
 探しに戻り、バラの茂みに引っかかっている聖遺物容器を発見したものの
不思議なことにどうしてもそれを取ることができません。
王はそれを神の啓示と悟り、
その場所に聖母マリアに捧げる礼拝堂を建てたそうです。
それが現在の聖マリア大聖堂であり、
そのバラの木は今に至るまで茂り続け、「千年の薔薇」と呼ばれる所以です。

大聖堂は第二次世界大戦の爆撃で灰燼に帰し、バラの木も燃えてしまいました。
しかし根は後陣の瓦礫に守られ8週間後には焼け跡から再び25の新しい芽を吹き
白い花を咲かせ、戦災に沈む人びとを勇気づけたのだそうです。
バラの木の根本には、それぞれの枝に生えてきた年を示す小さなプレートが付いています。
そして、この「千年の薔薇」に人々は励まされ、大聖堂の再建にまでこぎつけました。

私達が訪れた9月には、花は咲いていなかったけれど、可愛い実がなっていました♪



聖ミカエル教会



残念ながら工事中でしたが、、、

聖マリア大聖堂と同じく、ベルンヴァルトによって設計された
ドイツ初期ロマネスク様式の教会で、彼の遺体は今も地下聖堂に眠っています。
 
この教会も第二次世界大戦で破壊されましたが、大聖堂と同様に再建されています。 





ベルンヴァルトは、装飾など細部に至るまで建築のすべてに関わり、
彼の斬新な発想が随所に生かされているということで、
ここでも、レオナルド・ダヴィンチなみの数学概念を用いているのだそうです。
なかでも、この写真にも一部見られるように、
2本の円柱と1本の角柱を交互に並べる
「ニーダーザクセンの支柱交替」という様式は有名なのだそうです。





中央身廊の天井画「エッサイの樹」

1200年ごろ、1300枚の板に描かれた身廊の天井画で、
エッサイからキリストまでの系譜を描いています。
非常に大きなものですが、取り外すことが出来たため、
空襲前に避難させて、戦災を免れることができました。



「エッサイの樹」の部分「アダムとイヴの堕罪」

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