ドイツ第2の都市  ハンブルク その2



ハンブルクはベルリンに次ぐドイツ第2の大都市であり、
海に面していないにもかかわらず、ドイツ最大の港町です。






↑ バスの車窓から見た運河
ハンブルクはもともと低湿地帯であり、市内にはエルベ川とアルスター川が流れています。
また、アルスター川を堰き止めて作った人造湖アルスター湖や、
大小の運河があり、市街面積の10%が水面という水の都です。
橋の数はヨーロッパの町のなかでは最も多いそうです。




ハンブルク港



港というと、四囲を海に囲まれている日本人は、つい海に面していると思ってしまうけれど、
ハンブルグ港はエルベ川河口からは100qもはいった位置にある内海港、河川港です。
しかし、その規模は大きく、ドック数約60、岸壁総延長37q、
大規模なコンテナターミナルを持ち、
世界各地約1100の港と定期航路260路線で結ばれていて、
年間1万隻以上の船が入港するそうです。
ハンブルク港は、ヨーロッパではロッテルダム港に次いで
2番目に大きな港です。
歴史も古く、12世紀の後半に開港しています。
エルベ川での関税を徴収する権利を皇帝から与えられ、
ハンザ同盟の北海沿岸港として発展しました。




ドレスデンでも見たエルベ川ですが、ここハンブルクまで来ると川幅はぐんと広くなり
滔滔たる大河になっています。
南ボヘミアの森に湧き出た小川は、チェコ領内では「モルダウ川」となり、
北上してドイツに入ると「エルベ川」と名を変え、ドイツ領内を北上しつつ
北海バルト海の河口へと流れ下ってゆきます。
思えば、この川の流域に三度佇んだことになります
チェコのプラハでは、モルダウ川(チェコ語では「ヴルタヴァ川」)で
その美しい流れと橋の景観に感動しました。
そして、それから十数年後、今度はドレスデン、ハンブルクと、
次第に流れ下ってゆくこの川の下流域で再会することになったのです。





ドックの一つです


    

  旧エルベトンネル

1907年着工、1911年完成の、ドイツでもっとも古い、川の下をつなぐトンネルです。
深さ24b、長さ427b。
このトンネルに下りるには、歩行者用(バイク、自転車含む)と自動車用のエレベーター6機で
上げ下げを行います。
トンネルは、自動車も、バイクも、自転車も、人も通行できます。
一方通行のトンネルが2本あって、見ていると、車はけっこう全速力で走ってきますが、
その道路幅は写真でも分かるように、車の幅ギリギリです。
車道に比べて歩道はかなりユッタリしている感じです。
通行料は車2ユーロ、歩行者と自転車は無料で、今も現役で使われているトンネルですが、
どうして「旧」と言うかというと、「新エルベトンネル」があるそうなのです。
アウトバーンから接続する最大8車線という巨大トンネルだということです。




市庁舎



1886年から97年にかけて建てられたネオ・ルネッサンス様式の建物。
部屋数がバッキンガム宮殿より6室多い647室もあるそうです。
ハンブルクは首都ベルリンに次ぐドイツ第2の都市であり、
ベルリンと同様、どの州にも属さず、一都市で州をなしているので、
この市庁舎は、市庁舎であると同時に州議会の議事堂でもあるのです。




それにしても、この建物の威容には圧倒されます。
外観の装飾も、凝りに凝っています。
ハノーファーの市庁舎も凄かったけれど、ハンブルクも勝るとも劣らぬ素晴らしさで、
ハンザ同盟都市としての伝統的な圧倒的な経済力の凄さを
ひしひしと感じます。
という訳で、、、感嘆しながら写真を撮りまくりました。












  








市庁舎の内部です。どこもかしこも豪華絢爛です。






この組写真の左下はメンデルスゾーンのレリーフです。
ハンブルク生まれの有名な作曲家には、
メンデルスゾーン(1809−1847)とブラームス(1833−1897)がいます。
私達が訪れた2009年に生誕200年を迎えたメンデルスゾーンは、
裕福なユダヤ人銀行の息子で、あらゆることに才能を発揮したということです。
メンデルスゾーンもブラームスも、ともにドイツロマン派の音楽家とされますが、
ブラームスにはやや古典主義的な傾向がみられます。


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豪華な市庁舎内部を見学できるそうですが、私達は時間がなくて出来ませんでした。
ネットで見ると、まさに豪華そのものです。

http://hvanilla.web.infoseek.co.jp/hamburg/hamburg1.html






↑市庁舎のそばに建っていた石柱。
第一次世界大戦の戦没将兵の追悼碑で、高さ 12.5b。





市庁舎のそばのアルスター運河は鳥たちの楽園のようでした。

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