南山登山
前日に行った弥勒谷や塔谷は南山の東側で、本日の三陵渓谷は南山の西側にあたるそうです。
登山道に入って行く入り口に案内図の看板が立っていました。
三陵谷ルートを拡大した図です ⇒
私達はこの図のQ番「磨崖大菩薩」まで登りますが
先ずはI番の「三陵」へ向かいます。
← とっても気持ちの良い散歩道といった感じで
山登りの感じはまだ全然ありません。
三陵
古墳が3つ並んでいるので「三陵」、それぞれ神徳王、景明王、阿達羅王の陵墓とされているけれど、
神徳は新羅が滅びる最後から3人目の王、景明は最後から2人目の王で、共に10世紀の人、
阿達羅は2世紀中頃の王とされるので、時代の違う王達の墓が並んでいることになります。
三陵を後に、登山を始めました。
石造坐像
土中から発見されたということで、首は見つかっていません。
古代には仏教信仰が篤かったのですが、李氏朝鮮時代には儒教が尊ばれ、
仏教関係の寺や仏像など多くのものが廃仏毀釈の憂き目に遭い、
首を落とされた仏像も多いようです。
磨崖観音像 ⇒
上の石仏坐像のある所から左手の
ちょっと急な坂を上って行くと、崖の高い所に
すっと聳え立つように、端整であり、また柔和な
微笑を浮かべた観音像が現れました。
唇にはほのかな紅色が見え、美しい姿です。
新羅末期の8〜9世紀ごろの作と推定されているそうです。
ここでも、懇ろに礼拝している人がいました。
南山の石仏巡りをしながら、よく見掛けた光景です。
← 線刻磨崖六尊仏
写真にはうまく写せなかったのだけれど、
壁面の左右にそれぞれ阿弥陀像、釈迦像が彫られ
本尊のわきに2体ずつ供養している仏が彫られている
のだそうです。
低い山とはいえ、道はけっこう険しくなってきます。
← 石仏坐像 ↓
新羅後半のものとされ、この仏像は頭は残っていたものの
顔の鼻の下から顎まが欠落していたのをセメントで修復し、
光背も倒されて割れていたものを修復したのだそうです。
その修復されていく様子を伝える写真パネルが
展示されていました。
上禅庵
南山一円でもっとも高いところにある寺だそうです。
お経が流れているのでお寺だと分かるけれど、
遠目からはちょっとした休憩所のようにも見えました。
上禅庵からは更に上り坂が険しくなり、そこを一生懸命登っていくと、
ようやく磨崖大菩薩の所に至ります。
磨崖大菩薩
新羅末期の石仏。この時代になると大型の仏像が増えてくるが、
彫り方などが稚拙になってくるのだそうです。
この菩薩像も頭部だけが立体的な浮き彫り彫刻で、胴体部分は線刻になっています。
とはいえ、私なんかの目から見れば、7bの堂々たる石仏は圧倒的だし、
お顔の存在感も素晴らしい!
磨崖大菩薩からは、むき出しの花崗岩の崖沿いに岩に穿たれた段々を気息奄々で登り、
ようやく辿り着いた場所から撮ったのがこの写真。
先ほどの磨崖大菩薩像が見えます。
こうして見ると、磨崖大菩薩の前の礼拝の為の平地はほんの少しで
すぐにこんなに切り立った崖になっていたのでした。
高所恐怖症の私は目眩がしました。
この三陵渓のある山は金鰲山と言い、その頂上までは後少し登らなければ
ならないようなのですが、私達はここから下山しました。
低い山だけれど、けっこう険しかった山登りをして、
下山途中で昼食のお弁当を食べました。
韓国式海苔巻きです。
美味しかった〜〜(^¬^)
南山で出会ったどの石仏様も、
それぞれに温かさに満ちていて、
人々の信仰心もこのように穏やかで温かいもので
あったのだろうなと思ったのでした。
このような南山の石仏群の一端でも見られたことは
本当に貴重な良い体験であったと感じています。
次のページへ