アルル 
 レ・ボー・ド・プロヴァンス

〜〜アルルと言えば〜〜

ゴッホのアルル
“ガリアの小ローマ”としてのアルル

1888年2月、ゴッホは南フランスの明るい陽光を求めてアルルへやって来た。
ゴーギャンとの共同生活と破綻、自らの耳の切り落とし事件、強制入院を経て、
1889年5月にアルルを離れて精神病院に入院するまでの15ヶ月間をこの地で過ごした。
この15ヶ月の間にゴッホは189点もの絵を描いた。そして、彼の傑作の多くはこの時期に制作されたものだ。希望を抱いてアルルへやって来てから2年後の1890年にゴッホは自殺してしまうのだけれど、かと言って、このアルル時代の絵が必ずしも暗いわけでは決して無い。展覧会で目にする実物の絵の多くが画集で見るより遥かに明るいことに驚く。

ゴッホの<アルルの跳ね橋>のモデルになった跳ね橋を見に行く。
アルルの中心地から南へ3キロ、
ローヌ川の支流にある運河にその橋は架かっているのだが、現在の橋は復元されたもので、しかも場所も少し移動させているそうだ。 でも、のどかで鄙びた
田園風景は当時をしのばせる。

エスパス・ヴァン・ゴッホ →
(旧・アルル市立病院)
耳を切断したゴッホが入院していた病院。
現在は文化センターなどのカルチャー
スペースになっている。
ゴッホが療養していた部屋も残されている。

市の中心部のフォーロム広場にある 「カフェ・ヴァン・ゴッホ」
<夜のカフェテラス>のモデルになったカフェ。

このアングルからの写真も撮ったんだけど、
夕陽がで〜んと写っている・・・(-_-;;)

 アルルの歴史はカエサルがガリアを征服した紀元前1世紀に遡る。
市内には今もローマの遺跡が多くある。

紀元1世紀に造られた 円形闘技場
2万5000人の観衆を収容したといい、
フランスで最も大きい闘技場。

紀元前1世紀に造られた 古代劇場
当時の収容人員1万人。
中世になってアルルの都市づくりの為に、
ここの大理石などを利用してしまったんですって。

↑市の中心部、レピュブリック広場にある
エジプトのオベリスク
円形闘技場から移築した。
後方は市庁舎。

 オベリスクの台座部分 →

 古い歴史を持つアルルは、中世には大司教座のある街としても栄えた。
サン・トロフィーム聖堂は、ロマネスク芸術の至宝と言われている。
11世紀末から14世紀にかけて建てられたこの教会は、
3世紀にキリスト教をアルルに伝えた司教、聖トロフィムスのための教会。

 ← イエスを中心に
左上・マタイ、右上・ヨハネ
左下・マルコ、右下・ルカ

↑廻廊は聖堂の中庭を
囲んでいる。

左から3人目の彫像が聖トロフィムス

半円アーチの下のタンパンには<最後の審判>の図が彫られている。
左側には天国へ昇っていく人々の列、右側では地獄へ落とされる人々が
鎖に繋がれ火に焼かれている。
また、緋色の扉も美しい。

〜〜〜〜〜〜〜
ところで☆★☆ アルルと言えば、
<アルルの女>も思い出されますね☆★☆
複数の人種が混ざり合ったせいか
彫りが深く黒髪の美人がアルルには多いんですって
〜〜〜〜〜〜〜

アルルを出て北へ少し行くと、フォンヴィエイユの村。
この村の丘の上にドーデの『風車小屋だより』に
描かれた風車が建っている。
この日は穏やかな日だったけれど、
プロヴァンス地方特有の強風・ミストラルが
風車を動かすのでしょうね。

フォンヴィエイユ   ドーデの風車小屋

不思議な魅力の  レ・ボー・ド・プロヴァンス

レ・ボー・ド・プロヴァンスの魅力は、その特異な景観にある。
でも、それを更に魅力的なものにしているのは、その歴史だ。
ダンテが『神曲・地獄編』の着想を得たという「地獄谷」には魔女や子鬼が住むという伝説、
更にはシャルルマーニュ王の時代の財宝が埋まっているという
ワクワクするような言い伝えまで有るという。
詩人・ミストラルが“鷲の一族”と称した中世の領主レ・ボー家は強権無敵、城砦は難攻不落、
周囲から恐れられていた。しかし又同時に中世南フランスの文化の中心でもあり、
宮廷では貴婦人を称え騎士の物語を歌う吟遊詩人トルバドゥールが活躍した。
15世紀にデ・ボー家の血筋が絶えたあと、幾多の政争を経て、
1632年、プロテスタントの砦となっていたこの街はルイ13世の命により破壊され、廃墟と化した。

1821年、レ・ボーの近くで発見された物質からアルミニウムが作られた。
デ・ボーに因んで、この物質は
「ボーキサイト」と名付けられた。

   レ・ボーの村には可愛らしいお店屋さんが沢山あり、とってもいい雰囲気だった。  

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