ローマの水道橋   ポン・デュ・ガール

「フランスのなかのローマ」と呼ばれるニームに水を通すために建造された水道橋。
驚きの一つは、2000年も昔、紀元前16年頃(紀元前40年という説もある)に
高さ49メートル、全長275メートル、最大6トンもある巨石を運び上げて建設したという土木技術。
更に驚きは、水源地・ユゼスの泉からニームまでの距離50qに対して高低差は僅か17メートルしかない→従って1qにたった34pという勾配→言い換えれば3千分の一という微妙な勾配を
つけているということ !!! (@_@) (◎_◎) !!!

↑橋が架かるガルドン川

↑アーチが連なる3層からなる橋

↑水道橋近くの洒落たレストラン

908年に植えられたというオリーブの樹。
この樹に触ると長生きするんですって!(^-^)

アヴィニ

ポン・デュ・ガール & アヴィニョン

 左側はノートル・ダム・デ・ドン大聖堂
                右側は教皇庁宮殿

ノートル・ダム・デ・ドン大聖堂の
鐘楼の上には聖母マリア像

←教皇庁宮殿の西側
二つの尖塔の下にあるシャンポー門
が見学コースの入り口。
外観は堅牢な要塞といった軍事建築である。そして内部は贅の限りを
尽くした宮殿装飾の豪奢な造り。
建物の前は広〜い教皇庁広場。

アヴィニョンの街は城壁に囲まれている。
これは南側のレピュブリック門。
(国鉄アヴィニョン駅の真ん前)
この門を入った所には露天の市が
延々と並んでいた。

13世紀後半から14世紀初頭、ローマ教皇庁とフランス国王の間では熾烈な勢力闘争が
繰り広げられた(一例が所謂“教皇のバビロン捕囚”)。
1309年、フランス人教皇のクレメンス5世は教皇庁をローマからアヴィニョンに移す決心をする。
以後、1377年までの68年間は7人のフランス人教皇による
いわばフランス傀儡アヴィニョン教皇庁の時代と言えるだろう。

←ローヌ川
(フランス南東部を南北に流れる)

サン・ベネゼ橋 →
(通称 アヴィニョンの橋)

==羊飼いの少年ベネゼが、〜アヴィニョンへ行ってローヌ川の急流に橋を架けよ〜という神のお告げを聞いた。ベネゼ少年の行う奇跡を見た民衆は寄付をし橋の建設に参加した==
というのは伝説であるにしても、実際1177年から8年の歳月をかけて橋が建設されたことは確かであり、この時期にベネゼ少年も実在していたらしい。
建設当時は、全長900メートル、22のアーチをもつ長大な堂々たる橋だった。
その後、洪水などで度々破壊されその度に修復されたが、17世紀の大洪水で流されて以降は
放置されたままになっていて、今は4つのアーチ部分が残るだけである。
橋の上の小さな礼拝堂は、後に聖人に加えられたベネゼを祀るもの。
〜♪アヴィニョンの橋の上で踊ろよ、踊ろよ♪ 橋の上で輪になって踊ろう♪〜

TGV(テージェーヴェー フランスの新幹線)専用のアヴィニョン駅
最近出来たらしいが、弧を描いた形も 色も とっても斬新 お洒落 美しい。
さすがフランス〜〜!
ここからTGVに乗って、ロワール河畔に向かった。

目次へ

次頁へ