フランス政府観光局の資料より
オンフルールはセーヌ川が英仏海峡に注ぐ河口にある古い港町。
ノルマンディー様式の木造の家並みが中世の佇まいを見せる。
この街は印象派の父と言われるウジェーヌ・ブーダンが生まれた所で、後にターナーやコロー、モネ、クールベなど多くの画家をこの地に惹きつけた。また、作曲家エリック・サティの生地でもある。
ノルマンディー地方の他の町々と同様100年戦争の時にはイギリス軍と戦ったが、第2次世界大戦の時はノルマンディー上陸作戦の折にも戦禍を受けず、今も古い風情を残すことが出来た。
因みにノルマンディーというのは、8世紀、北欧のノルマン人がヴァイキングとしてこの地方へやってきてノルマンディー公国を建てたことによる。
旧ドック(港)にはヨットや漁船が舫っていて、何とも言えぬ情緒を醸し出している。
現代のブーダンとも言うべき(^-^)日曜画家たちが何人もイーゼルを立てて、絵筆を揮っていた。
前に来た時はこのドックの向う側(西側)の街並み(ブーダン美術館などがある)を歩いたが、
今回は時間も無く、こちら側(東側)を少しぶらついただけだった。
この界隈にはホテルやレストラン、お店が立ち並んでいた。また、オンフルールに限った事では
ないけれど、時節柄あちこちで大きなカボチャがディスプレーされていたり菊が植えられたり
していて、ハロウィンや万聖節の雰囲気に満ちていた。
〜ジヴェルニーのモネの家と庭園〜
印象派の巨匠クロード・モネは16歳のとき、ブーダンによって屋外で明るい外光のもとで絵を描くことを学ぶ(当時はまだ屋内のアトリエで描くことが一般的だった)。
以後、モネは屋外の自然光の光の移ろいを追及していく(印象派のことを外光派とも言う)。
1883年、42歳のモネはパリの西北80キロ、セーヌの支流に面するジヴェルニーに居を構え、
1926年、86歳で世を去るまでずっとここで制作に没頭することになる。
住居を自分好みにしつらえ、理想とする庭園作りに打ち込む。
私達が訪れたこの日、10月も下旬になると花壇の花々は盛りを
過ぎていて残念だった。ただ、ダリアはまだとても綺麗だった。
この時代のヨーロッパの人々は日本の美術に魅了された(ジャポニスム)。
モネも例外ではなかった。自分の邸宅と道路を挟んだ向かいの土地を購入し、
川から水を引いて日本風の庭園を作った。
こちら側の「花の庭」、向う側の「池の庭」、二つの庭は地下道で結ばれ、
モネは「理想の庭」にご満悦だったでしょうね(^o^)
睡蓮や太鼓橋の絵などはこの「水の庭」で制作されたが、私達日本人の目から見れば
ここの庭は所謂日本庭園ではない。でも、これでいいのだ、このヨーロッパ風日本庭園から
あれら油絵の名作が生まれたのだから!
睡蓮も9月中でないと咲いてない。
モネの家はピンクの壁に緑色の窓や階段、田舎家風の造りで、とっても可愛らしい。
家の中ではモネが収集した百数十点の浮世絵がどこにもかしこにも
所狭しと飾られていた。
屋内は撮影禁止だが、余りに素敵だったので絵葉書で〜♪(^_-)-☆
レモンイエローのダイニングやブルーのキッチン、どの部屋も明るくて素敵☆
☆モネの家って、インテリアにしろガーデニングにしろお手本書みたい〜♪♪♪