モンマルトル
パリ市の北端、海抜128bの丘がモンマルトル。
モン・マルトルとは殉教者の丘という意味。3世紀、パリの初代司教で、後にはフランス王国の
守護聖人と崇められるようになるサン・ドニが、この地で斬首されたことに由来する。
19世紀中頃にパリ市に統合されるまでは、丘陵地には葡萄畑が広がっていた。
ナポレオン3世の命で、オスマン知事によって行われたパリ大改造によって
パリから追い出された貧しい人々が住み始める。
19世紀後半から20世紀にかけて、安い家賃とこの地の風情に惹かれた芸術家達が集まってきた。
画家のマネ、ドガ、ルノワール、ゴッホ、ユトリロ、ロートレック、モディリアニ、作曲家のサティなど。
↑ サクレ・クール寺院
1870年の普仏戦争の敗戦と1871年のパリ・コミューンによる犠牲者の鎮魂のために
民間の寄付を募り、1876年着工、1919年に完成したロマネスク・ビザンチン様式の
比較的新しい教会。サクレ・クールとは「聖なる心」の意。
↑ パリ市街を望む
サクレ・クールの高台はパリの最高点。だから パリの色んな所からサクレ・クール寺院が
よく見える。逆に、ここサクレ・クール寺院が立つテラスからはパリ市内を一望できる。
(因みに、パリはそれほど広くはない。東京・山の手線の内側くらいだそうだ)
モンマルトルには これで3度目。辻邦生さんの次のような文章を読んで以来、
夕景のパリをぜひ見下ろしてみたいと思っているけれど、まだ叶わない。
たまにサクレ・クールの前までゆくようなとき、パリの屋根屋根が
夕靄のなかに青く浮かんでいるのをみて、大きな生活のリズムが海鳴りのようにそこに
どよめいているのを感じて、胸が鋭くしめつけられるような感覚を味わった。(中略)
町々に灯が入るころ、丘の頂きから暮れてゆくパリを見るのもすばらしかった。
淡く夕暮れの色の残る西空に、くっきりとエッフェル塔のシルエットが立っていた。
もはやノートル・ダムも凱旋門もオペラ座も暮色のなかにとけて見分けられなかった。
ただ近づいてくる夜とともに窓々に光りだす灯火の数が、そこにそれだけ、
人生があるのだということを、はっきり語りかけていた。(後略)
〜〜辻邦生『詩への旅 詩からの旅』より〜〜
← モンマルトルの階段
モンマルトルでは
至る所に坂や階段があり、
それがけっこう急な勾配だ。
でも、とっても情緒があって
素敵なパリの雰囲気を
醸し出している。
この階段はサクレ・クール寺院に
至る。並行してケーブルカーも。
↑ フランス映画 ≪アメリ≫ に出てくるメリーゴーランド
アメリはモンマルトルのカフェで働く 空想癖のある ちょっと風変わりな女の子。
でも、アメリが周りの人達にするちょっとしたイタズラで、みんなが幸せになっていく。
そうそう、サクレ・クール寺院のところには 映画に登場した望遠鏡もあったけれど、
公衆電話はどうだったかなぁ? 気が付かなかったなぁ、、、
↑ コタン小路
ユトリロが描いた≪コタン小路≫の場所。
やっと見付けた!
見過ごしてしまいそうな、ひっそりとした小路。
黒い猫が階段のフェンスの陰にひっそりと居た。
この階段を上るとサクレ・クール寺院が聳え立っている。
(階段の下から)
(階段の上から)
↑ テルトル広場
レストランやみやげ物屋に囲まれたこの広場は観光客でごった返している。
観光客の似顔絵を描いて売る無名の画家達がイーゼルを並べている光景でもお馴染み。
← 大道芸のパフォーマンス
この界隈では色んな大道芸人の
パフォーマンスが見られる。
アコーディオン弾きなどの楽器演奏以外にも、
白塗りして硬直している彫像パフォーマンスも(^o^)/
お金を入れてくれる人があると動くのです ^^
レストラン≪ラ・メゾン・ローズ≫
ユトリロの絵の題材になった。
↑ ラ・メゾン・ローズ内部(2階)
←モンマルトル博物館
この扉の向こうに小じんまりとした庭があり、
その奥に博物館の建物がある。
ユトリロなど、モンマルトルに集まった芸術家達の
アトリエにもなった。
それら芸術家達の資料や作品を展示している。
階上から裏手を見下ろすと、
今では唯一残っている小さな葡萄畑が見えた。
モンマルトラン →
丘の麓のピガール広場とサクレ・クール寺院
の間の坂道を周回している プチ・トラン。
観光用の小型電気自動車だけど、
いかにもパリらしいセンスだわ。
(ピガール広場にて)
坂道と石畳の風情は、本当に絵になる風景だ。