シュテファン大聖堂とその周辺

〜〜フィガロハウスを訪ねる〜〜

第4日(10月5日

カフェ・モーツァルトで元気回復。ウィーンで最も賑やかな通りのケルントナー通りを北へ歩いてシュテファン大聖堂へ。途中でもの凄い雨と風。せっかく温まっていた体がびしょ濡れに。馬車を曳いている馬達も濡れそぼって寒そうだった。

↑モザイク屋根のシュテファン大聖堂とその内部
12世紀半ばにロマネスク様式の教会ができ、14世紀にゴシック様式の大教会に建て替えられた。
身廊の長さ107m、高さ39m、南の塔の高さ137m。
塔に登るとウィーン市内が一望できるそうだが、この雨風ではなぁ・・・ということで、今回は断念。
地下のカタコンベには歴代皇帝の内臓が納められているという。さっきの王宮のアウグスティーナー教会には心臓を、行かなかったけれどカプツィーナー教会には残りのものを葬っているという。切り刻んで埋葬するなんて、気の毒な気がする。想像の埒外だなぁ。
モーツァルトの葬儀をした場所があるとガイドブックに書いてあったけれど、よく分からなかった。

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シュテファン大聖堂の裏、古いウィーンを偲ばせる石畳の小路に、
モーツァルトが3年間住み、<フィガロの結婚>がここで作曲されたために
「フィガロハウス」と呼ばれているモーツァルト記念館がある。

通りに面した入り口も、モーツァルトの住居に上っていく階段の佇まいも、
何もかも侘しく暗〜い雰囲気がして、可哀想なモーツァルトさん・・・と思ったのだが、内部は意外に明るく、部屋数も結構多く広々としていた。
楽譜や手紙、肖像画などが展示されていた。

ここでも写真撮影は禁止。
←せめて窓から外を〜〜モーツァルトも眺めたであろう小路の風景を撮る。

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フィガロハウスからシュテファン大聖堂に戻り、そこから西北に延びるグラーベンを歩く。
道幅33m、長さ300mの通り。13世紀頃までは堀(Graben)だったそうで、道と言うより広場のよう。中央に「三位一体碑(通称・ペスト記念柱)」。1679年、ペストの終息に感謝して皇帝から献じられたバロック様式の記念柱。この年のペストによるウィーンの死者は8万人とも15万人とも言われているそうだ。

  ↑グラーベン

↑ペスト記念柱

← グラーベン通り界隈 ↓

いつの間にか雨も上がり、ゆっくり散策。
店のたたずまいや飾り付けもしゃれていて、
すっかり秋の趣き。
ハロウィンのデコレーションも。

↑ペーター教会内部
ウィーンで2番目に古い教会だそうだ。
美しいバロック建築とのことだが、修復中で一部は見えなかった。
毎年6月12日にはウィーン少年合唱団が<レクィエム>を歌うそうだ。

↑アンカー時計
ホーアー・マルクト広場にある2軒のアンカー保険会社をつなぐ10mの渡り廊下。そこに20世紀初頭に
ユーゲント・シュティール様式の時計が造られた。
毎正時に仕掛け人形が現れるというので息せき切って駆けつけたが、それは正午だけだった。それでも時を告げる時計の音色だけは響いていた。



ほかに、アム・ホーフ教会に行ったり、ケルントナー通りで買い物をしたりしながらブラブラする。
今日は疲れたからホテルの近くのスーパーマーケットで惣菜などを買って、ホテルの部屋で夕食をとろうと思ったのが間違いのもと。ちょっとマシなスーパーはもう閉店していて、かろうじて開いていた所でパンなどを買って、侘しい夕食とあいなりました・・・(-_-;;);;

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