パリ歩き=その1=

凱旋門からシャンゼリゼ大通りを望む

高さ50mの凱旋門の上からは、シャンゼリゼ大通りを始め
凱旋門から放射状に出ている12本の道路を望むことができる。
シャンゼリゼ大通りは凱旋門から東へ向かって一直線にコンコルド広場までの3kmの通り。
広い道幅ゆえに「100メートル道路」と言われたりもする。
季節が良ければ、ず〜っと続くマロニエの並木の緑が美しいでしょうに。

アンヴァリッド廃兵院
ヨーロッパに覇を唱えた太陽王ル14世は多くの戦争をし、多くの負傷兵が生じた。
ルイ14世により1676年に建てられた負傷兵の為の病院兼養老院(5000人収容)。現在は軍事博物館。
後方、黄金色に輝く建物はドーム教会。ドームの高さは105m、地下墓所にナポレオンが眠る。

エッフェル塔周辺

エッフェル塔は1889年、フランス革命100周年を記念して開催された
パリ万国博のモニュメントとしてつくられた。
折りしも技術革新の20世紀は目前、ハイテクのシンボルとして鉄の記念塔建設が計画され、
ギュスターヴ・エッフェルの設計案が採択された。当初はただ単に「300メートル塔」と
呼ばれていたが、いつしか「エッフェル塔」と呼ばれるようになった。
7000トンの鉄と250万個のリベットが使用され、
これだけの高さを昇降するエレベーターも画期的だった。
20年後には取り壊される予定だったが、無線通信の発明により通信塔としての利用価値を認められ
存続することになった。お蔭で、パリの代表的景観が今に残ることになった。
当初300mだった高さはアンテナの設置により320mに、
総重量も各種施設が追加されて現在はほぼ1万トン、その重量を4本の足に分けて支えている。

鉄の刺繍と形容される鉄骨の間を
縫って昇降するエレベーター  →

←高さ276mの第3展望台から
見たシャイヨー宮と
トロカデロ公園。
後方に広がる街並みは
高級住宅地パッシー地区。
奥に少し見えているのは
ブーローニュの森の一部。


パッシー地区について詳しくは
<パリ・プチ旅行記>パッシー地区
をご覧下さい。
ここから直接行かれた場合は、「戻る」ボタンをクリックしてここへ戻ってきて下さい。  

シャイヨー宮は1937年のパリ万国博のパビリオンとして建てられた。
今は、「海洋」「フランス文化財」「映画」「人類」の4つの博物館。

シャイヨー宮、トロカデロ公園側から   →
セーヌ川を隔てて望むエッフェル塔

シャイヨー宮からセーヌ川沿いに歩き、
ビル・アケム橋から中洲へ下りる。
ビル・アケム橋からグルネル橋に
至る全長1kmの人工の中洲を
「白鳥の散歩道」という。
水浸しのセーヌ川だったのに、
何故かここはかろうじて
冠水していなかった。
立ち入り禁止措置もなかった。

白鳥の散歩道のグルネル橋側の   →
先端に立つ「自由の女神」

フランスがアメリカに贈った自由の女神に
対する返礼として、パリに住むアメリカ人達
が1889年にフランス革命100周年の
記念に寄贈したもの。
高さ11.5m、重さ1.4t、ニューヨークの
ものと同じ設計者の手になるが、
NYのよりだいぶん小さい。

像は川のほうを向いて立っているので
グルネル橋の上から撮ると
後姿になってしまう。

モンマルトル

テルトル広場から見る  →
サクレクール寺院

← ピンクの壁が目を引く酒場
ラパンアジル

シャンソニエ(シャンソン酒場)の
ラパンアジルへはユトリロや
ピカソ、エリック・サティ等が
足繁く通った。
エディット・ピアフやイヴ・モンタンも
ここでよく歌っていたとのこと。
店名の由来は、画家の一人が
看板にラパン(ウサギ)の絵を
描いたことから。

モンマルトルに唯一残る  →
ブドウ畑

モンマルトルについて詳しくは<パリ・プチ旅行記>モンマルトルをご覧下さい。
そこからは「戻る」ボタンをクリックして
ここへ戻ってきて下さい。
 

オペラ座界隈

オペラ座に関して詳しくは<パリ・プチ旅行記>のオペラ座をご覧下さい。そこからは「戻る」ボタンをクリックしてここへ戻ってきて下さい。  

オペラ座 →

← オペラ座劇場

マドレーヌ寺院

マドレーヌ寺院の中では
日本人の聖歌隊の方達が
賛美歌を奉納していた。



マドレーヌ寺院については<パリ・プチ旅行記>のマドレーヌ寺院をご覧下さい。そこからは「戻る」ボタンをクリックしてここへ戻ってきて下さい。 

次のページへ